<記事紹介> 合成香料ニトロムスクの化学史 (Eur. J. Org. Chem.)

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香水の成分として知られるムスクは、麝香(じゃこう)とも呼ばれ、もともとは雄のジャコウジカの分泌物から得られました。ムスクは香料や生薬として古代から用いられてきましたが、その高い人気に対して、一頭のジャコウジカから少量しか採れない稀少性のため、非常に高価なものでした。そのため欧州では、早くも18世紀から、天然ムスクに代わる合成ムスクの開発に向けての研究が始まりました。

合成ムスクにはいくつかの種類がありますが、その中でも特に歴史が古く、20世紀に広く使用された「ニトロムスク」についての化学史エッセイが、 European Journal of Organic Chemistry に掲載されました。

ニトロムスクは、一般には1888年にドイツの化学者 Albert Baur が開発したのが最初とされています。しかし今回のエッセイによると、ムスク香を有しニトロ基を含む化合物は、18世紀半ばに Andreas Sigismund Marggraf が初めて合成に成功し、その後も何人もの化学者が報告しています。しかし、それらの化合物は、どういう訳か天然ムスクの代用として香料に使用された形跡がなく、また構造決定にも至りませんでした。

1881年、ドイツの化学者 Werner Kelbe は、自ら合成したニトロムスクの構造決定に初めて成功しましたが、彼はそれを論文で発表したのみでした。Kelbe の教え子だった Baur は、師の研究を引き継いで、後に「ムスクバウア」と呼ばれることになる類縁化合物を開発する一方、Kelbe とは異なり商才を発揮しました。彼は論文の発表前に特許を取得するとともに、素早く香料メーカーと契約を交わし、ムスクバウアの商業化を実現したのです。その結果、Baur はニトロムスク開発の先駆者として、化学史に名前を残すことになりました。

ムスクバウアに続いて、ムスクキシロール、ムスクケトンなどのニトロムスクが開発され、天然ムスクの安価な代用として20世紀に隆盛を迎えます。しかし、1980年ごろから有害性や環境中の残留性が相次いで報告されたことから、各国でニトロムスクの使用禁止の動きが広まりました。現在は、商用化されたニトロムスク6種のうち、安全とされるムスクケトンだけが使用を認められています。

こういったニトロムスクの歴史を、豊富なサイドストーリーとともに語るこのエッセイは、化学史および香料化学に関心を持つ読者には、興味深い読み物となるのではないでしょうか。

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