<記事紹介> 波乱万丈・世界初の人工甘味料サッカリンの物語 (Chemistry Views)

saccharin化学ニュースサイトChemistry Viewsで “The Saccharin Saga” (サッカリンの物語) と題した連載エッセイがスタートしました。(月1回連載・全6回で完結予定) ベルリン自由大学の元教授で化学ライターのKlaus Roth氏らが2011年にドイツ語で発表したエッセイを英語訳したもので、1878年に発見された世界初の人工甘味料サッカリンをめぐる波乱万丈の物語が、豊富な歴史的エピソードとともに展開されます。連載第1回は下のリンク先からお読みいただけます。

1877年、ロシア生まれのドイツの化学者Constantin Fahlbergは、輸入砂糖への関税をめぐっての裁判に証人として招かれ、米ボルチモアを訪れました。Fahlbergは、依頼された砂糖の分析を行うため、同じボルチモアにあるジョンズホプキンス大学の化学者Ira Remsenの研究室を間借りします。分析が済んで裁判の開始を待つ間、FahlbergはRemsenの許可を得て、研究室の一員として実験を手伝うことにしました。Remsenの指示の下、Fahlbergはオルトトルエンスルホン酸の酸化を試み成功しますが、その過程で後にサッカリンと呼ばれることになる化合物が生成したのを発見しました。

Fahlbergらが1879年に発表した論文では、この化合物が砂糖以上の甘さをもつことに簡単に触れていますが、周囲への波紋は皆無でした。Fahlbergがサッカリンの甘さに気付いたのは偶然によるもので、実験後に入念に手を洗ってから帰宅したにもかかわらず、夕食のパンがいつになく甘く感じられるのを不審に思ったのがきっかけでした。しかしこの時点では、Fahlberg, Remsenともに、サッカリンを甘味料として応用する発想はなかったようです。

1880年にFahlbergはRemsenの研究室を去り、フィラデルフィアの製糖所に転職しましたが、サッカリンのことが頭を離れず、やがて応用の着想を得たようです。1882年夏に彼は独ライプツィヒで商人として成功していた叔父を訪ね、サッカリンの商業化の道を探り始めます。Fahlbergはまずウサギや犬を使って、次いで自ら被験者となって実験を行い、摂取したサッカリンがそのまま尿中に排出されることを発見しました。1884年夏にサッカリンの工業的生産を決断した彼は、ドイツ・米国など4か国で特許を申請するとともに、ニューヨークを拠点にサッカリンの生産を開始、展示会などを通じて販路を開拓しようとします。Fahlbergが「サッカリン」の名前を商標登録したのは1886年のことで、その前後を通じて彼はサッカリンの単独発見者として振る舞いました。

一方のRemsenは、Fahlbergから商業化や特許申請について何の相談も受けることなく、そういった動きを1886年夏に初めて知って激怒することになります。サッカリンの合成に至る反応については明らかにRemsenのほうが専門家で、Fahlbergは彼の研究室で、彼の助言を得ながら行った実験でサッカリンを発見したのですから、Fahlbergの行為が問題視されるのはやむを得ないでしょう。Remsenはもともと研究成果の商業化に無関心な化学者で、Fahlbergへの怒りは金が理由ではなく、共同発見者としての貢献を無視されたことに対してのものだったようです。RemsenはFahlbergをペテン師と呼び、決して許しませんでした。

この「サッカリンの物語」は今後どのように展開していくのでしょうか? 次の連載を楽しみにお待ち下さい。

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