<記事紹介> ストリキニーネの化学 - 単離から全合成まで / 歴史的エピソード満載の連載エッセイ第1回

warning_59564119ミステリー小説などで使われる毒薬として有名なストリキニーネは、化学の分野でもきわめて重要な化合物として研究の対象になり、ノーベル賞受賞者を含む多くの化学者の関心を引きつけてきました。ベルリン自由大学の元教授で化学ライターとしても活躍するKlaus Roth氏は、ストリキニーネ研究の歴史を豊富なエピソードとともに振り返るエッセイ “Strychnine: From Isolation to Total Synthesis” (ストリキニーネの化学 - 単離から全合成まで)の連載を化学ニュースサイトChemistry Viewsで開始しました。第1回目の記事が下のリンク先で公開されています。

strychnineアルカロイドの一種であるストリキニーネ (strychnine)は、半数致死量(LD50)が2 mg/kg(マウス)と、シアン化カリウム(青酸カリ)の5 mg/kgを上回るほどの強力な猛毒です。ストリキニーネは、スリランカ・インドなどを原産とする常緑樹マチン(学名 Strychnos nux-vomica)に実る直径1~2 cmのナッツ状の種子(右画像)に最高3%という濃度で含まれ、当初は種子を砕いて殺鼠剤として、その後17世紀初めには粉末にして生薬として用いられるようになりました。

ストリキニーネは安定性が高いため単離が比較的容易で、1818年に早くもPelletierとCaventouが単離に成功しました。しかしその後の構造決定と全合成は困難を極め、Woodwardによって構造決定と全合成が達成されるまでには実に100年以上を要しました。(その経緯については次回以降の記事で取り上げられます。)

ストリキニーネはさまざまな薬効をもつ万能薬と信じられ、特に強壮剤としては20世紀に入っても人気が高く、家庭向けに大瓶で販売されていました。ちょっとした過剰摂取が中毒事故を招くことも多かったはずで、また当時の医学書には乳児に2時間おきにスプーン一杯ずつ与えるよう推奨する記述が見られるなど、今の常識では考えられない使い方がされていました。

1904年のオリンピック米セントルイス大会では、マラソンに出場したThomas Hicks選手がレース中に元気回復のためブランデーとともにストリキニーネを二度にわたり摂取、見事に優勝しましたがゴール直後に昏倒し、表彰式を数時間遅らせる事態になりました。幸いにも一命をとりとめた同選手は、それを最後にマラソンへの出場をやめましたが、その後は89歳まで長生きしたそうです。現在ではストリキニーネの運動能力向上効果は認められていませんが、世界アンチ・ドーピング機関によって禁止薬物に指定されています。

また欧州では1978年にストリキニーネの医薬品としての使用が全面禁止され、次いで殺鼠剤としての使用も禁止されたため、日常生活の中でストリキニーネに接することはまずありません。しかし、極度に希釈した毒物を摂取することで病気を治療するという代替療法「ホメオパシー」では、ストリキニーネがレメディー(治療薬)として今も用いられています。D30と呼ばれる代表的なレメディーは、ストリキニーネの水溶液を10の30乗倍に希釈したもので、実際には一回の服用分にストリキニーネ分子は1個も含まれていないのが確実です。

ミステリー小説の代表的な毒薬となったストリキニーネですが、ごく微量でも口に入れた瞬間吐き出してしまうほどの極めて強い苦みをもつため、どうやって相手に気づかれずに致死量を飲ませるかが犯人にとっての難題になります。「ミステリーの女王」アガサ・クリスティ(1890 – 1976)のデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』では、そのためにあるトリックが用いられますが、トリックを考案する上で、薬剤師の助手として働いた経験をもつクリスティの化学的知識が役立ったようです。このトリックについては、Roth氏の別の記事 “Agatha Christie: The Chemistry of a (Nearly) Perfect Murder” で詳述されています。

今回を皮切りとするRoth氏の連載エッセイは、今後ストリキニーネの構造決定と全合成に向けての展開を辿っていきます。興味を持った方は、ぜひ引き続きチェックして下さい。

☆ 今後の連載予定 ☆

Strychnine: From Isolation to Total Synthesis – Part 2
Why did it take 130 years to determine the structure of strychnine? (published in June 2015)

Strychnine: From Isolation to Total Synthesis – Part 3
What can we learn from the total synthesis of strychnine?

Strychnine: From Isolation to Total Synthesis – Interview
Christine Beemelmanns and Hans-Ulrich Reißig explain why they developed the 17th total synthesis of strychnine

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