田丸節郎とフリッツ・ハーバー / 立教大・大山秀子教授のエッセイがThe Chemical Record誌に掲載される

tcr_cover田丸 節郎氏 (1879 – 1944) は、ドイツ留学中にフリッツ・ハーバーの下でアンモニア合成法の開発に貢献するとともに、帰国後は理化学研究所(理研)、東京工業大学、日本学術振興会の創立に重要な役割を果たした、戦前日本の化学研究および科学振興における偉人のひとりです。その田丸氏の足跡をハーバーとの交流を中心に振り返る化学史エッセイが、日本化学会とWiley-VCHが共同出版するThe Chemical Record誌に掲載されました。著者は、田丸氏の孫で、田丸謙二東京大学名誉教授の長女でもある立教大学大学院理学研究科・大山 秀子教授です。

ハーバーが開発に成功したのは、空気中の窒素を固定しアンモニアを合成する方法で、後にハーバー・ボッシュ法として工業化されました。このアンモニア合成法は、窒素肥料の大量生産を可能にし、現在の世界人口を支えられるよう食糧生産の水準を向上させた、化学史上で最も重要な技術のひとつであることは言うまでもありません。ハーバーはこの功績により、1918年にノーベル化学賞を受賞しました。

1907年にドイツに留学した田丸氏は、1908年からカールスルーエ工科大学のハーバーの研究室に移り、ハーバーに「節郎は死ぬほど働く」と評されるほど精力的に実験に取り組むことで、アンモニア合成の成功に大きく貢献しました。同時に田丸氏は、ハーバー夫妻と家族の一員のように親しく交流し、1911年にハーバーがカイザー・ヴィルヘルム研究所(後のマックス・プランク協会フリッツ・ハーバー研究所)の所長に就任した際に所員として招かれるほど厚い信頼を得ました。

その後の田丸氏は、渡米を経て1917年に設立された理化学研究所(理研)に着任、ドイツでの経験を基に化学本館の設計を手掛けるなど重要な役割を果たしました。さらに1929年には日本で初めての工業大学となる東京工業大学の創立に、1932年には日本学術振興会の設立にもそれぞれ尽力し、現在に至る日本の科学研究の礎を築きました。

それらの仕事と並行して田丸氏は、1924年に来日して各地で講演を行ったハーバーに通訳として随行し、その際の講演録をのちに翻訳出版しました。(この時ハーバーを日本に招いたのが、SF作家星新一の父でもある製薬王・星一氏です。)また田丸氏がドイツ滞在中に入手したラヴォアジエ、ジェームズ・ワットらの貴重な直筆書簡は、ハーバーの写真・肖像画などとともに田丸家にコレクションとして遺され、2012年に日本化学会化学遺産委員会により化学遺産第012号に認定されました。

こういった田丸氏の業績は、日本化学会サイトの認定化学遺産 第012号 『田丸節郎資料(写真および書簡類)』および田丸謙二名誉教授と大山教授の共著による化学と工業特集記事で概略を知ることができますが、大山教授の今回のエッセイではさらに豊富なエピソードを盛り込んで詳述され、同時に写真や書簡のファクシミリなど貴重な史料も目にすることができます。

田丸名誉教授・大山教授とも、ハーバーが遺したマックス・プランク協会フリッツ・ハーバー研究所の関係者らと長年にわたって強いつながりを保ち、2011年の同研究所創立百年祭で、田丸名誉教授は “Fritz Haber and Japan” と題して講演を行いました。田丸氏の足跡とともに、世代を超えて受け継がれる日独の科学交流を描いた今回の記事を、日本の化学史・科学史に関心のある読者に広くおすすめします。

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